Since 2006/09/21
日本共産党白石厚別地区委員会

最終更新:2007/12/16
「えた・ひにん」――差別のある社会(同和地域)に生まれ育ち、「貧しさとともに人間の尊厳を傷つける社会から、誰もが人間らしく生きられる社会にしたい」――この思いが日本共産党に入った私の原点です。
小学生の頃、給食代が無くなったとき、同和地域の子だけが職員室に呼び出されて、はじめから犯人扱いで叱られました。盗んでしまったのは別の地域の子でしたが、先生からは謝罪もなし。悔しい思いが語られました。「貧しさ」だけでなく、尊厳が傷つけられ、やり場のない怒りを暴力に訴えたり・・・。
地域の相談所になっていたわが家には、酔っぱらって夜中に相談に来る人がいたり、身内が不当逮捕されたという人。ねたみや見栄を張って人間関係がこじれた人。ギャンブルで家庭が危機になった人。
思い返すと、経済的に弱者におかれることをはじめ、見下されることによって、人間らしい考えや努力が、どんどんゆがんでいく様も見聞きしてきました。
「すべての国民に最低限度の生活を保障するため、税金を能力に応じて負担する」――これは、単に命があればいいということでありません。人がこの世に生まれ、人間らしく生きることができる保障を、政治の責任だと、憲法は明記しています。
人間を大切にする社会の実現へ、私は全力をつくします。
小学校4年生のとき、立ち退きで滋賀県に引っ越しました。「相談所」となっていたわが家とお別れをし、新天地へ。
しばらくしてから「家族会議」なるものが開かれるようになりました。末っ子だった私は(兄、姉がおります)、いつも未熟さを指摘されていたような気がします。今となっては、批判や指摘されることのありがたさとともに、反面教師的に「批判・指摘の仕方があるよなぁ」と、みなさんとコミュニケーションをとる上で、力になっているのではと思っています。
家族会議では、家事の分担を決めました。コーヒー係、食後の片付け、階段や廊下、風呂、便所の掃除、洗濯。これらのローテーションを組むようになりました。
中学生だった私は、ぶつくさ言いながらやっていたこともありました。しかし、家事から解放された母が、ダンス教室に通ったり、社会福祉士の試験を受けて合格したりと、自分の時間を生き生きとすごすようになりました。いかに、家事(労働)が大変か、みんなで分担することで、それぞれの「自分の時間」を保障しあっているか、学ばされました。
いま、自ら家庭を営む立場ですが、なかなか家族会議を開けるものではありません。会社でも、地域でも、どこでも「家族が大事」、こう言いあえる社会にしなければならないと思います。

「ぐるぐるトラック周ってて、楽しいか」―。中学生の頃、夢中になっていた陸上部。同じグランドで練習していた野球部やサッカー部の友だちからよく言われました。
友人の兄の「陸上部はおもしろい」との話がきっかけで入部。学年別の競技でポジション争いがなかったせいか、先輩・後輩の仲がよく、休みの日も一緒に遊びに行くほどでした。そんな雰囲気が楽しくて練習に出ているうちに、タイムトライアルの度に記録が伸び、「どこまで早くなれるだろう」と競技のおもしろさにのめり込みました。
引退していく先輩の推薦でキャプテンになりました。同時に、陸上部の顧問は転勤。転勤前に先生から、なぜこの練習が大切なのか、丁寧に教えてもらいました。
ももの上がり具合、ストライド(歩幅)の大きさ、腕振りと体のバランスなど、課題意識を持ってレベルアップし、大会で記録が出せるよう体調を整えることまで、自分たちで練習を組み立てるようになりました。ぐるぐる周っているだけで大変そうに見えることも、記録を伸ばすため楽んで取り組んでいました。
もっと本格的になれば食事の調整の課題などもありますが、持って生まれた能力の限界でなく、うちの経済力に限界が・・・。共産党が目指す「人間の能力がいかんなく発揮される社会」に魅力を感じるとともに、まず経済力で差別する社会を変えなければと思います。
2年の大学受験浪人生活(3年間の大学受験)。
1浪目、極力親に負担をかけられないと予備校には通わず、夏までアルバイトで模擬試験費用や受験費用を稼ぎ、すごしました(結局2年浪人で多大な負担に)。
このとき、「教師になるなら、多くの人と知り合って、いろんな人がいることを実感しなきゃ」と、友だちをつくる気持ちで日本共産党を相談相手にする青年組織・日本民主青年同盟に入りました。
一緒に活動する班のメンバーはすべて浪人生。「何のために大学に行くのか」「大学では、学ぶこととその学ぶ条件をよくすることを同時に追及することが大事」など、大学の先生を呼んで講演会。文系だった私は理系の仲間に古典を、理系の友だちから数学を教えあいました。
勉強ばかりだと、気持ちが続きません。カラオケ、ソフトボール、ボーリングなども。
浪人まっただ中、どこへ行っても「学生さん?」と聞かれ、「浪人生です」と小さく答え、肩身の狭い思いをしました。いま振り返ると、充実した浪人生活だったし、現役合格にはない課題意識をもって学生生活をすごす力になったと思います。
「明日の充実のため、今どうすごすか」、仲間とともに考えることができたことは、恵まれていた。「弱肉強食」でなく、励まし合い支え合う人間的な社会をつくりたいと思います。
「3度目の正直」でやっと学生になれました。
親にできるだけ負担をかけないように、学生寮で生活するようになりました。念願の学生生活だけあって、誰よりも早く(4月3日)寮に入ることになりました。
学生寮といえば、“酒(?)”。「絶対に酒は飲まない」と宣言して家を離れましたが、結局「郷にいれば郷に従え」。朝まで飲んで語ったり、歌ったり・・・。
寮の仲間から「いよいよ出馬か(03年総選挙時)「おまえが出たら入れるから」(他党支持の友人)など「がんばれ」の声は、お金で買えない、かけがえのない宝となりました。
寮のなかで「酒を押しつけられるのがイヤ」「汚い」「食べた後の片付けをしない人がいる」などの不満が出されていたので、一年生を集めて会議をしました。先輩からは「密談か?」と冷やかされましたが、一年生同士、思いを共感しあいました。
そのせいもあってか、私たちの学年みんなが、班ごとの掃除係の先頭にたって、きれいな寮に生まれ変わりました。他大学の寮生と交流したときに、うらやましがられたほどです。
「思いを一つにする」ことが、大きな力を発揮するんだなあと、つくづく考えさせられた寮生活でした。

大学入学の年は、官公庁の土曜日閉庁が始まった年。これにともなって、図書館とサークル棟が土・日閉館になる。これが大問題でした。
しかし、交渉する学生自治会は、執行部が解体状態。先輩たちが自治会再建運動をするなかで、サークルに入った寮の友だちから、「一緒に学生自治会をやらないか」と誘いがありました。浪人時代「学ぶことと学ぶ条件を整えることと一体に」と学んだこともあって、友だちと一緒に役員選挙に立候補。定員に満たない選挙でしたが、全員信任されました。
さっそく、全国で土・日図書館を開館している国立大学の実態も調べて交渉。「平日は4講目までで、4時10分。いつ図書館で集中的に学べばいいのか」「土・日が使えなければ、サークル活動がなりたたない」など、切実な声と、全国の改善した実態を訴えました。
私たち学生の道理ある訴えもあって、大学当局が全国の実態を調査した上で改善することを約束しました。
この年は、学生寮の美術科の先輩に実行委員長を引き受けてもらって、それこそ文化的な大学祭となりました。数年ぶりのオールナイト開催です。軽音楽系サークルやジャズ研のライブ、深夜の語り合い。
今思えば、私自身、当局交渉、要求実現運動の出発点でした。

昨年、突然の解散総選挙。03年の総選挙に続き、2回目の挑戦のなかで、前回よりも多くの方が「かわべ」と書いて下さいました。
その期待にこたえるためにも、さらに頑張り続けなければと決意を新たにしていたところ、「山根たいこさんの引退にとともに、後継者となって議席を取り戻すことが、白石区民の願いにこたえる大事な役割。ぜひ決意して欲しい」と要請がありました。
「北海道の貴重な自然を壊してまでやらなければならない事業か」と、住民や環境保護団体と力を合わせてストップさせた日高横断道路建設。道民の納めた税金が私利私欲のために使われることが許せないと、全国的に問題となったムネオ診療所の暴露・・・。
6人から4人になっても道議団は、道警報償費や若者の雇用改善など、大きな役割を発揮しています。
しかし、4人では入れない委員会があります。道警報償費問題を徹底追及する場となる総務委員会もそうです。
道民が汗水流して納めた税金は道民のために使われるべきです。そのためには日本共産党の議員団を大きくしなければならないし、前回失った白石区の議席は必ず勝ち取らなければなりません。数々寄せられている白石区民の「何とかして」の声に答えたいと決意しました。

「子育てしてみたい都道府県」第1位は、ダントツで北海道です。理由は、豊かな自然。安心・安全な食材…。まさに、北海道で暮らしたいと願った私の思い、実際に2人の娘を子育てしての実感と同じです。
にもかかわらず、北海道の出生率は、全国で下から3番目の1・13(全国平均1・29)。札幌市はさらに低く1・01です。子育て世代の理想の子どもの数は2・5人であるだけに、このギャップを埋めることが、決定的な対策になります。
道は10月から、緊急少子化対策として大学と連携し、講義で学生に「出産、育児に関心を持ってもらう」としています。この対策をどうこう言うつもりはありませんが、「出産、育児に関心が低いことが少子化の原因?」と、道の現状認識に大きな疑問を感じます。
かわべパパの実感は、「子どもとの時間が思うようにとれない。その分、母ちゃんに多大な負担がかかっている」です。
インターネットで子育て日記(ブログ)を交流していますが、どのパパもママも苦労しています。
子育て世代のお父さんが、不安定雇用に置かれていることも少なくありません。収入増が期待できないだけに、子育てに何かとお金がかかるのも大きな負担。給食費を払えない世帯も増えています。
しかし、道議会では自民党議員が、「小・中の給食費滞納で味をしめ、高校の授業料を滞納しているのだ」ときめつけ、法的な措置や、強制退学を示唆する質問をしています。
「子育て世代の声が、届いていない」――道政への強烈な実感です。子育ての喜び以上に、負担感が強くなるのでは少子化に歯止めはかかりません。子育て世代の一人としても、何としても実感を届けなければと痛感しています。

「いま、憲法や教育基本法の改悪を許してしまったら、子どもたちから10年後、15年後、『変えたのはあなたたち』といわれるでしょう。無関心ではなく、子どもたちに胸をはれるよう頑張っていきましょう」―講師として参加した「憲法学習会」の最後に、会場となった保育園の園長が言われました。
人は「鬼」にもなれるし、反面「人間」にも戻ることができる――ある語り部の方の言葉です。私は、学習会の講師として「子どもたちを鬼(加害者)にしていいのか」というメッセージを贈りました。
憲法を議論するとき、「もし攻められたらどうする?」、そんな被害者としての議論が先走ります。でも、かつて、日本は軍国主義教育一辺倒のなかで「お国のため」と何ら疑うことなく殺戮をくりかえす「鬼」に子どもたちを育ててしまいました。
当時「鬼」となっていた自分が、生まれ変わった憲法のもとで、言語に絶する加害体験を勇気をもって語ることこそ、平和を守り人間に戻れることだ―と語り部を続ける方の話も紹介しましたが、被害者ではなく加害者にもなるということを直視してほしいのです。
自衛官だった父を尊敬する青年保育士は、戦争には反対でも9条を変えるとなると、やはり「もし攻められたら」という思いから反対ではなかったといいます。でも、私の話を聞いてこの日「やはり9条は変えてはいけないと確信した」と感想を聞かせてくれました。
子どもたちを「人間」として育てるためにも、多くの方たちといっしょに憲法改悪、教育基本法改悪を阻止したいと思うのです。

「事故で頭を打ったことがきっかけで障害を持った。誰もが障害を持つ可能性がある」「支援法は、受け皿のない地域に放り出すようなもの」。「手話通訳にも利用料が取られる。会話するにも負担なのか」―。
障害者自立支援法に関わって、施設訪問や集会に参加するなかで、様々な声が出されます。社会的弱者といわれる立場におかれ、人間らしく生きることが保障されないことへのいらだちを感じました。
私は、そこで生まれたというだけで、就職、居住、結婚などで差別された「同和地域」で生まれました。
私の世代では、一部に結婚差別が残るぐらいでしたが、人として生きる権利が侵害され苦しんだ地域です。「どうすれば、差別はなくなるのか、誰もが人間として大事にされる社会になるのか」このことを考え続けてきた私にとって、みなさんの声は、人ごとではありません。
障害が重くなるほど負担も重くなる、いまの自立支援法では、生きる権利が奪われてしまいます。
障害者やその家族、また関係者の方々の実態を一つひとつ議会に突きつけて、だれもが安心してくらせるための支援策になるよう、何としても改善させなければと思っています。

「就職難に泣き寝入りしない北海道女子学生の会」の事務局として活動していた学生時代。当時、北海道新聞から「なぜ、男子学生なのに『女子学生の会』の活動をしているんですか」と取材され、「女性が差別される会社で、男性だけ差別されないなんてことはない」など答えたことが、写真入りで紹介されました。
ちょっと要領がよくなかっただけで、「おまえはバカか」と言われたり・・・。まさに差別がまかり通っている、今の若ものの仕事の状態。
今月2日、狸小路で青年雇用問題の解決求める宣伝行動に参加しました(写真)。「サービス残業もあるけど、正社員だから恵まれている」、こう話してくれた若ものに、「いつトラブルに巻き込まれるともわからない。個人で入れる労働組合もある。サービス残業は違法だから、勤務の記録はとっておいた方がいいよ。いざというとき役に立つから」と言うと、「ありがとうございます。がんばってください」と、喜んでくれました。しかし、この行動で、弱い立場におかれ、おかしいと思っていることも甘んじて受け止めなければと考えている若ものが少なくないことを、あらためて実感しました。
サービス残業や偽装請負を正す日本共産党の役割は、今後ますます具体的な実績となって力となります。道議団も議会での追及で、若もの向けの「ルールブック」を発行させることができました。
まかり通っているのは「違法行為」。一つ一つ暴(あば)いていけば、必ず前進を勝ち取ることができます。学生時代の初心にも立ち返り、「一つの権利侵害も許さない」―。
この立場でたたかい続けます。

消費税率が3%から5%になった学生時代。計画が出された時から、「消費税は、収入が低ければ低いほど重い負担になる」(=逆進性)ことを明らかにするために、「家計簿」をつけ始めました(94年〜)。その資料は、消費税増税反対の論陣を張る新聞や雑誌で使われました。
月7万円の仕送りに月2万円になるかどうかのアルバイト代で、学生生活をしていました。3%の時で、月2406円の消費税負担。当時私は、「本屋で欲しい専門書あっても買えずに、安い専門書1冊分に相当する2406円はとても手痛い出費です。専門書何冊文もの負担増になると思うと、とても怒りを覚えます」と、語っていました。
政府も、民主党からも「社会保障の予算確保に消費税増税はさけられない」という声が聞こえます。そうは言っても社会保障と消費税の関係は述べません。福祉を必要とする方の多くは、低所得層です。税率が上がればあがるほど負担が重くのしかかる消費税増税は、社会保障を充実させようという発想ではありません。現に、消費税導入以降、社会保障の予算は切り下げられっぱなしでした。それどころか、大企業減税をした分と国民の消費税負担の額がほぼ一致します。
「福祉のために消費税増税」は、国民の善意を利用した、ごまかしの理屈です。内容もやり方も絶対に許せません。
(完)